北陸放送はなぜ北國新聞会館へ移転するのか〜2030年秋の本社移転と本多町再開発〜

石川県の放送史にとって、大きな転換点となりそうです。

北陸放送株式会社は、金沢市本多町三丁目にある現在の本社「北陸放送会館」から、金沢市南町にある北國新聞会館へ2030年秋にも移転する方針を固めました。

2026年8月5日朝の北國新聞が大きく報じ、同日には北陸放送自身もニュースとして発表しています。北國新聞会館の1階にテレビスタジオを設け、2027年4月にラジオ事業を承継する予定の株式会社MROラジオやグループ会社の北陸アイティエスも移転する計画です。北陸放送は新たな拠点を「まちなか放送局」と位置付けています。

1968年に完成した北陸放送会館から、なぜ自社ビルを建て替えるのではなく北國新聞会館へ移るのでしょうか。

そこには、築58年を迎えた局舎の老朽化だけではなく、2030年に予定される放送設備の更新、建築費の高騰、放送設備の小型化、コンテンツや人材への投資、本多町の土地活用など、これからの地方放送局の経営を考えるうえで興味深い理由が重なっています。

2030年秋に本多町から南町へ

北陸放送の現在の本社は、金沢市本多町三丁目2番1号にあります。

1968年に完成した北陸放送会館は、テレビとラジオの局舎を一つにまとめた総合社屋として建設されました。それから58年間、石川県における北陸放送のテレビ・ラジオ番組制作、報道、営業、技術などの中枢を担ってきました。

その北陸放送会館から、2030年秋にも金沢市南町2番1号の北國新聞会館へ本社機能を移します。

北國新聞の2026年8月5日朝刊によると、株式会社MROラジオと北陸アイティエスを含め、約130人の従業員が移転する計画です。

北陸放送は同日、北國新聞社と移転に関する基本合意書を近く締結する方針であることも明らかにしています。したがって、2026年8月5日時点では「基本合意書を締結した」のではなく、「締結する方針」とするのが正確です。

移転予定地は現在地から遠く離れているわけではありません。本多町から南町へ、金沢市中心部の中で放送拠点を移すことになります。

なぜ北陸放送会館を建て替えないのか

今回の計画で最も注目したいのは、北陸放送が現在地で新しい放送会館を建設する方法を選ばなかったことです。

現在の北陸放送会館は1968年の完成から58年が経過しています。

さらに2030年には、番組を実際に放送へ送り出す中枢設備である「マスター設備」の更新時期を迎えます。社屋の老朽化と基幹放送設備の更新がほぼ同じ時期に重なることから、北陸放送では新しい放送拠点のあり方を検討してきました。

その結果、新築の自社ビルではなく、既存の北國新聞会館へ入居する方法を選択しました。

理由の一つが建築費です。

資材価格や人件費など建築コストが上昇する中、大規模な放送会館を新たに建設し、その後も長期間維持していくためには相当な費用が必要になります。

一方、放送設備はデジタル化と小型化が進み、従来の放送会館と同じ規模の建物を必要としなくなっています。

北陸放送自身も、放送設備のコンパクト化によって大きな局舎が必要なくなったことに加え、局舎建設に充てる資金を魅力あるコンテンツの制作や人材育成へ投資すべきだと判断したと説明しています。

これは今回の本社移転を考えるうえで、非常に重要な点です。

単なる老朽化した建物からの退去ではありません。

「建物を所有すること」と「放送局として何に投資するか」を改めて考えた結果として、既存ビルへの移転という結論に至ったと見ることができます。

北國新聞会館が選ばれた理由

移転先となる北國新聞会館は、金沢市南町2番1号にある北國新聞社の本社ビルです。

1991年に完成した地下3階、地上21階建ての建物で、金沢市中心部に位置しています。

一般的なオフィスビルであれば、どこでも放送局を設置できるわけではありません。

特にテレビスタジオには、照明設備やカメラ、美術セットなどを設置するための十分な天井高が必要です。また、放送素材の伝送などに利用する中継用アンテナを設置できる環境も求められます。

北國新聞会館は1階にテレビスタジオを整備できる天井高があり、中継用アンテナを設置できるなど、北陸放送が求める技術的な条件を満たしていることが移転先選定の理由になりました。

スタジオの面積、ニューススタジオと番組スタジオの構成、ラジオスタジオの配置、マスター設備の仕様など、具体的な放送設備については2026年8月5日時点では明らかになっていません。

放送技術に関心のある者としては、2030年の設備更新に合わせてどのようなシステムが導入されるのかも気になるところです。

北陸放送会館はどのような建物なのか

現在の北陸放送会館についても振り返ってみましょう。

北國新聞の2026年8月5日朝刊によると、北陸放送会館は、それまで別々の場所に置かれていたテレビとラジオの局舎を統合する総合社屋として1968年に建設されました。

敷地面積は約1万8000平方メートルあります。

本館は地下1階、地上4階建てで、延床面積は約6700平方メートル。屋上には高さ約40メートルのアンテナタワーがあります。

隣接する別館は地下1階、地上3階建てで、延床面積は約3400平方メートルです。

別館の2階と3階にはMROホールがあり、放送関連の催しだけでなく、展示会やイベントなどにも利用されてきました。

現在の北陸放送会館は、テレビ局やラジオ局の事務所が入っているだけの建物ではありません。

半世紀以上にわたり番組が制作され、ニュースが送り出され、出演者やスタッフ、地域の人々が行き交ってきた場所です。

1968年から続いてきた北陸放送の本多町時代が2030年秋に一つの節目を迎えることになります。

北陸放送と北國新聞社の関係は創業期から続く

北陸放送が北國新聞会館へ移転することには、歴史的にも興味深い背景があります。

北陸放送の前身は1951年に設立された北陸文化放送です。

北國新聞の2026年8月5日朝刊では、北國新聞社が中心となって北陸文化放送を設立したことが改めて紹介されています。

翌1952年5月10日にラジオ放送を開始し、同年に現在の北陸放送へ社名を変更しました。日本民間放送連盟の開局資料にも、1952年5月10日の北陸放送開局と旧社名の北陸文化放送が記録されています。

現在の本多町へ移転する1968年までは、北國新聞社の社屋に北陸放送の本社が置かれていました。

つまり2030年の移転が実現すれば、北陸放送は62年ぶりに北國新聞社と同じ建物へ本社を置くことになります。

もちろん、1968年まで入居していた北國新聞社の社屋と、1991年完成の現在の北國新聞会館は別の建物です。

しかし、北國新聞社を中心として設立された北陸放送が、本多町で独自の放送拠点を築いた後、再び北國新聞社と同じ建物へ移るという流れは、石川県のメディア史という視点から見ても興味深いものがあります。

北陸放送と北國新聞社は、その後常に同じ距離感で歩んできたわけではありません。両社の関係がどのように変化してきたのかについては、別の記事で詳しく取り上げています。

株式会社MROラジオも南町へ

北國新聞会館へ移転するのは北陸放送のテレビ部門だけではありません。

2026年4月1日に設立された株式会社MROラジオも移転する計画です。

北陸放送は2027年4月1日付でラジオ事業を独立会社へ承継させる方針を示しています。

ただし、ラジオ事業の承継には総務大臣による放送免許承継の許可など、関係官庁の許認可が必要です。2026年8月5日時点では、2027年4月1日の事業開始を予定している段階です。

北陸放送はラジオ分社化の理由として、メディアの多様化などによってラジオ広告収入が減少傾向にある中、ラジオ事業を継続・発展させるため、独立した会社として機動的に業務を進め、新しいビジネスを生み出すことを挙げています。

今回、本社移転とラジオ分社化がほぼ同じ時期に進められることになります。

ラジオ分社化については、こちらの記事で詳しく紹介しています。

北陸アイティエスを含む約130人が移転

北國新聞の2026年8月5日朝刊では、北陸放送だけでなく、株式会社MROラジオと北陸アイティエスを含めて約130人が北國新聞会館へ移転すると報じられています。

北陸アイティエスは北陸放送グループの広告・制作会社です。

テレビ、ラジオだけでなく、その周辺業務を担うグループ会社も移転することで、南町に北陸放送グループの主要機能が集まることになります。

北國新聞会館には当然ながら北國新聞社も入居しています。

新聞社と放送局、ラジオ会社、広告・制作会社が同じ建物に集まることになりますが、具体的にどのような連携が行われるのかについては2026年8月5日時点では発表されていません。

ここは将来を推測せず、今後明らかになる計画を待ちたいと思います。

本多町の跡地はホテルを軸に再開発

本社移転後の本多町は、そのまま遊休地になるわけではありません。

北陸放送は現在の敷地を活用し、ホテルを軸とする再開発事業を進める計画です。

現在の敷地には、金沢市指定文化財の名勝「松風閣庭園」があります。

松風閣庭園は加賀藩筆頭家老を務めた本多家に由来する庭園で、北陸放送会館の敷地内にありながら、金沢の歴史を今に伝える貴重な文化資産でもあります。

周辺には兼六園、金沢21世紀美術館、鈴木大拙館などがあり、金沢観光の中心部に近い立地です。

北陸放送は、この環境を生かした富裕層向けホテルを軸とする再開発を進めています。2025年12月には、北陸放送、北國新聞社、地域未来創造の3社が連携する事業で、ホテルブランド選定に関する優先交渉権者として三井不動産が選ばれています。

一方、ホテルのブランド、客室数、施設構成、開業時期などの詳細については2026年8月5日時点では明らかになっていません。

本社移転には不動産事業の側面もある

北國新聞の記事でもう一つ注目したいのが、本社移転後の土地活用によって不動産収入の拡大を目指すと報じられている点です。

約1万8000平方メートルというまとまった敷地を金沢市中心部に保有していることは、北陸放送にとって大きな資産です。

しかも、松風閣庭園を有し、兼六園や金沢21世紀美術館などにも近い場所です。

放送局として必要となる本社機能を南町へ移し、本多町の土地についてはホテルなどを通じて収益を生み出す資産として活用する。

今回の計画は「老朽化した放送会館から引っ越す」という話だけではなく、北陸放送が保有する資産の使い方そのものを見直す経営判断でもあります。

放送事業への投資と不動産収入の拡大を両立させようとする点は、今回の本社移転を理解するうえで重要でしょう。

「建物」より「番組と人」へ投資する選択

私は今回の発表で、北陸放送が新しい自社ビルを建設しないという判断に特に注目しました。

放送局といえば、大きなスタジオやマスター設備、編集設備、機械室、資料庫などを備えた専用局舎を構えるイメージがあります。

しかし、放送設備のデジタル化と小型化が進み、番組制作を取り巻く環境も大きく変化しています。

その中で、これまでと同じ規模の放送会館を新築し、多額の建設費と維持費を負担することが、本当に放送局にとって最善なのかという判断が必要になります。

北陸放送が示した答えは、既存の北國新聞会館を活用し、建物への投資を抑え、その分をコンテンツ制作や人材育成へ回すというものでした。

番組を作るのは建物ではなく人です。

視聴者やリスナーが接しているのも、社屋そのものではなく、そこで作られたニュースや番組、映像、音声、イベントなどのコンテンツです。

北陸放送の今回の選択は、地方放送局が限られた経営資源をどこへ投入していくのかという意味でも、興味深い事例になりそうです。

本多町58年の歴史から南町の新拠点へ

北陸放送は1952年5月10日にラジオ放送を開始し、1958年12月にはテレビ放送へ進出しました。

そして1968年、本多町にテレビとラジオを統合した北陸放送会館を完成させました。

それから58年。

2026年8月5日、北陸放送が2030年秋をめどに北國新聞会館へ本社を移転する方針が明らかになりました。

背景にあるのは局舎の老朽化だけではありません。

2030年に迎えるマスター設備の更新、放送設備の小型化、建築費の高騰、コンテンツや人材への投資、株式会社MROラジオの分社化、そして本多町の土地を活用したホテル再開発と不動産収入の拡大。

それぞれが結びついた、大規模な事業再編と見ることができます。

北陸放送は本多町の大きな自社局舎から、金沢市中心部の既存ビルを活用した「まちなか放送局」へ向かいます。

一方、本多町では半世紀以上にわたって北陸放送を支えてきた土地が、松風閣庭園と周辺の文化的環境を生かした新しい役割を担うことになります。

2026年8月5日時点では、新しいテレビ・ラジオスタジオの詳細や本多町再開発の全容はまだ明らかになっていません。

だからこそ、現段階では発表された事実と今後の計画を分けて捉えることが大切です。

1968年から続く本多町の放送拠点がどのように役割を終え、2030年秋に予定されている南町の新たな放送拠点へ引き継がれていくのか。

北陸放送にとっても、石川県の放送史にとっても、大きな節目となる計画です。

参照

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