アマチュア無線局 JF9OYU/ライセンスフリー無線局 いしかわJK946 です。いつもブログをお読みいただきまして、心より感謝申し上げます。
さて、石川県の放送業界にとって、大きな節目となるニュースが舞い込んできました。MROの愛称で親しまれている北陸放送株式会社が、金沢市本多町にある現在の本社社屋から、金沢市南町の北國新聞会館へ移転する方針を固めたのです。移転は2030年秋を予定しており、1968年から半世紀以上にわたってテレビ・ラジオ放送を送り続けてきた本多町を離れ、金沢市中心部で「まちなか放送局」として新たな一歩を踏み出すことになります。
北陸放送が2030年秋に北國新聞会館へ移転
北陸放送の報道によりますと、現在の北陸放送会館は1968年に完成し、2026年時点で築58年を迎えています。長年にわたって石川県のテレビ・ラジオ放送を支えてきた建物ですが、経年による老朽化が進み、2030年に予定されている放送設備の更新とあわせて、新たな放送拠点を整備する必要が生じていました。
当初は、本多町の現在地に新たな放送会館を建設する可能性も検討されていたとみられます。しかし、放送機器のデジタル化や小型化が進み、かつてのように大規模な設備や広大な局舎を必要としなくなったことに加え、建設費の高騰も無視できません。北陸放送は、新社屋の建設に巨額の費用を投じるよりも、既存の建物を有効に活用し、そこで生まれる余力を番組やコンテンツの制作、人材の育成などに振り向けることが重要だと判断しました。
移転先となる北國新聞会館は、金沢市南町2番1号に位置する北國新聞社の本社ビルです。1991年に完成した地下3階・地上21階建ての高層建築で、金沢市中心部を代表するランドマークの一つとして知られています。1階にはテレビスタジオを設置できる天井高が確保されているほか、中継用アンテナの設置も可能で、放送局に求められる技術的な要件を満たしているとされています。北陸放送は近く、北國新聞社と移転に関する基本合意書を締結する方針です。
テレビスタジオは北國新聞会館の1階へ
今回の計画では、北國新聞会館の1階に北陸放送のテレビスタジオが設けられる予定です。ニュースや情報番組、収録番組などを制作するためには、照明設備やカメラ、音声設備、美術セットなどを設置できるだけの床面積と天井高が必要です。一般的なオフィスフロアでは対応が難しい条件ですが、北國新聞会館の1階はテレビスタジオとして利用できる構造を備えているとされています。
金沢市南町は、香林坊や武蔵ヶ辻にも近い金沢の中心業務地区です。北陸放送が掲げる「まちなか放送局」という言葉からは、単に本社の住所を変更するだけでなく、中心市街地のにぎわいや人の流れを生かし、地域との距離をさらに縮めようとする意図が感じられます。公開スタジオや番組観覧など、市民や観光客が放送局を身近に感じられる仕掛けが設けられるかどうかは現時点で明らかになっていませんが、金沢の中心部から地域のニュースや文化、観光、経済の動きを伝える新しいメディア拠点になることが期待されます。
一方、放送局は地震や豪雨、停電などの非常時にも放送を継続しなければなりません。既存の高層ビルへ放送局が入居するにあたっては、非常用電源、無停電電源装置、演奏所から送信所までの回線の多重化、災害対策本部の機能、機器の冷却設備など、通常のオフィスとは異なる対策が必要です。北國新聞会館が放送施設としてどのように改修され、災害時の放送継続体制が構築されるのかは、放送技術に関心を持つ立場からも注目したいところです。
MROラジオと北陸アイティエスも移転
北國新聞会館へ移るのは、北陸放送本体だけではありません。2027年4月に北陸放送からラジオ事業を承継する予定の「株式会社MROラジオ」と、放送設備の保守やシステム開発などを担うグループ会社「株式会社北陸アイティエス」についても、北國新聞会館への移転が決まっています。
北陸放送は2026年4月、ラジオ事業の分社化に向けた準備会社として株式会社MROラジオを設立しました。総務大臣による放送免許承継の許可などを前提に、開局75周年となる2027年4月1日から、テレビ事業とラジオ事業がそれぞれ別会社として歩み始める計画です。分社化には、ラジオ独自の意思決定を迅速にし、新しい番組、イベント、デジタル配信、広告商品などを生み出しやすくする狙いがあります。詳しくは、以前掲載した「北陸放送のMROラジオ分社化とは?その理由と今後を考える」でも紹介しています。
MROラジオと北陸アイティエスが同じ北國新聞会館に入居すれば、テレビ、ラジオ、新聞、ケーブルテレビ、インターネット関連事業などが一つの建物に集まることになります。災害報道や地域情報の共有、映像・音声コンテンツの制作、イベントの企画、デジタルメディアの展開など、組織の枠を超えた連携が進む可能性があります。
北陸放送の概要と歴史
北陸放送株式会社は、石川県を放送対象地域としてテレビ放送とラジオ放送を行う民間放送局です。テレビはTBSテレビをキー局とするJNN系列、ラジオはJRNとNRNのクロスネットに加盟しています。北陸放送の会社概要によると、資本金は1億8,000万円で、2026年4月1日時点の従業員数は95人。テレビでは「Atta」や「絶好調W」、ラジオでは「あさ☀ダッシュ」や「ノコトラジオ」などの自社制作番組を放送しています。
北陸放送の前身は、北國新聞社が中心となって設立した「北陸文化放送」です。1951年12月に会社が設立され、1952年5月10日に「ラジオ北陸」の名称でラジオ放送を開始しました。日本海側で最初に開局した民間ラジオ放送局であり、同年には現在の「北陸放送」へ社名を変更しています。1958年12月1日にはテレビ放送を開始し、ラジオとテレビを兼営する石川県の基幹的な民間放送局として発展してきました。
「MRO」という略称は、金沢局のコールサイン「JOMR」と、かつて七尾放送局に割り当てられていた「JOMO」に由来します。北陸放送は当初、北國新聞社の社屋内に本社を置いており、1968年に本多町の北陸放送会館へ移転しました。そのため、2030年に北國新聞会館へ移ることは、北陸放送にとって約62年ぶりに北國新聞社と同じ建物へ戻るという、歴史的な意味も持っています。
北國新聞の概要と歴史
北國新聞は、株式会社北國新聞社が石川県を中心に発行している地方紙です。1893年8月5日、赤羽萬次郎らによって金沢で創刊されました。法人としての北國新聞社は1935年に設立され、戦時下の新聞統合が進められた1940年には北陸毎日新聞を合併し、題字を「北國毎日新聞」へ変更しました。戦後の1950年に再び「北國新聞」の題字へ戻り、現在に至っています。
北國新聞社は石川県の北國新聞に加え、富山県では1923年創刊の富山新聞を発行しています。また、月刊誌「北國アクタス」や総合文化誌「北國文華」の発行、美術展、スポーツ大会、コンサート、講演会などの文化事業にも取り組んできました。現在の北國新聞会館に隣接する北國新聞赤羽ホールは、北國新聞創刊115周年を記念して2008年に開館した芸術文化施設で、金沢の文化発信拠点としても利用されています。
北國新聞グループには、新聞発行だけでなく、テレビ、ラジオ、ケーブルテレビ、インターネット、広告、印刷、旅行、文化事業などを担う企業や団体があります。北國新聞会館にも、金沢ケーブルやラジオかなざわをはじめとするメディア関連企業が入居しており、北陸放送とMROラジオ、北陸アイティエスの移転によって、その情報発信機能はさらに強化されることになります。
離れた両社が、再び同じ建物へ
北陸放送と北國新聞社は、もともと非常に深い関係から出発した企業です。しかし、その関係は常に一枚岩だったわけではありません。1980年代以降には両社の距離が広がり、北陸放送が北陸中日新聞との関係を深める一方、北國新聞社はテレビ金沢の開局を支援するなど、石川県のメディアをめぐる関係は複雑に変化してきました。
その後、2000年代に入ると両社の関係は徐々に修復され、北國新聞ニュースのMROラジオでの放送が復活しました。資本面でも北國新聞社は北陸放送への出資を強め、2026年3月時点では北陸放送株式の9.76%を保有する筆頭株主となっています。両社の関係については、「北陸放送と北國新聞はなぜ対立し、再び接近したのか?」で詳しくまとめていますので、あわせてお読みいただければ幸いです。
今回の移転は、長い時間をかけて再び近づいてきた北陸放送と北國新聞社の関係を、目に見える形で示す出来事と言えるでしょう。ただし、新聞社と放送局が同じ建物に入居し、報道や事業で連携を深めるとしても、それぞれが独自の取材・編集方針を持ち、多様な視点から地域社会を見つめることは重要です。効率化や連携による利点を生かしながら、報道機関としての独立性と多様性をどのように保っていくのかも、今後の大切な課題になります。
本多町の跡地は富裕層向けホテルを軸に再開発
北陸放送が移転した後の本多町では、現在の放送会館や周辺敷地を活用した再開発が進められる計画です。松風閣庭園の景観や、兼六園、金沢21世紀美術館、鈴木大拙館といった観光・文化施設に近い立地を生かし、富裕層向けホテルを中心とした整備が検討されています。
2025年12月には、北陸放送、北國新聞社、地域未来創造の3社が連携して進める本多町再開発において、ホテルブランド選定の優先交渉権者が三井不動産に決定したことも報じられました。ただし、ホテルの具体的なブランド、客室数、開業時期、放送会館の建物を保存・転用するのか、解体して新たな建物を整備するのかなど、計画の全容はまだ明らかになっていません。
半世紀以上にわたりテレビやラジオの番組が制作され、数多くの出演者や放送関係者が行き交った北陸放送会館は、石川県の放送史を語るうえで欠かすことのできない場所です。再開発によって本多町の風景が大きく変わるとしても、北陸放送が歩んできた歴史を写真や映像、放送機器、資料などの形で後世に残す取り組みも期待したいところです。
「建物」から「コンテンツ」へ投資する時代
今回の移転で最も印象的なのは、北陸放送が新しい自社ビルを建設するのではなく、既存の北國新聞会館へ入居し、建設費を番組制作や人材育成へ振り向ける方針を示したことです。人口減少や広告市場の変化、インターネット動画やSNSとの競争、放送設備の更新費用など、地方放送局を取り巻く経営環境は決して楽観できるものではありません。
立派な放送会館を持つことよりも、地域の人々に必要とされるニュースや番組を制作し、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて届けることに資金と人材を集中する。北陸放送の判断は、これからの地方放送局のあり方を象徴する選択とも言えます。2030年秋、南町から放送を始める新しいMROが、どのようなスタジオを整備し、どのような番組やサービスを生み出していくのか。そして、本多町の再開発が金沢の新たな魅力づくりにつながるのか。石川県の放送史とまちづくりの双方に関わる大きな計画として、今後も動きを見守っていきたいと思います。
本日も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました!
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