第1回ホクリク・デジコミーティング出張編開催のお知らせ

日本のアマチュア無線の歴史〜黎明期から戦後再開、黄金時代、デジタル化、そして次の100年へ〜

アマチュア無線局 JF9OYU/ライセンスフリー無線局 いしかわJK946 です。いつもブログをお読みいただきまして、心より感謝申し上げます。

さて、7月29日は、日本の「アマチュア無線の日」です。1952年(昭和27年)7月29日、全国30人のアマチュア無線局申請者に予備免許が交付され、太平洋戦争によって途絶えていた日本のアマチュア無線が再開へ動き出しました。この日を記念し、日本アマチュア無線連盟(JARL)は1973年(昭和48年)に7月29日を「アマチュア無線の日」と定めています。

2026年は、戦後の再開から74年、そしてJARL創立100周年という大きな節目の年です。さらに2027年には、日本で最初のアマチュア無線局と位置づけられる「JXAX」の免許から100周年を迎えます。現在のアマチュア無線は、音声による交信だけではありません。モールス通信、画像通信、デジタル通信、人工衛星、月面反射、流星散乱、インターネットと連携したレピーター、FT8をはじめとする微弱信号通信など、その領域は約100年前とは比べものにならないほど広がりました。

一方で、その歴史は決して順風満帆ではありませんでした。法制度が存在しない時代の試行錯誤、戦争による全面停止、占領下での再開運動、高度経済成長期の急速な普及、世界最大のアマチュア無線大国となった時代、携帯電話とインターネットの普及による局数減少、そしてデジタル技術を取り込んだ現在まで、日本のアマチュア無線は社会と技術の変化を映す鏡のように歩んできました。本記事では、その約100年の歴史を、時代背景とともにたどります。

日本のアマチュア無線の原点〜短波に魅せられた若者たち〜

20世紀初頭、無線通信は国家、軍隊、船舶、通信会社などが扱う特別な技術でした。しかし、欧米では早くから個人の無線研究家が受信機や送信機を自作し、互いに電波を送り合うようになります。当初、短波は遠距離通信には向かないと考えられていましたが、アマチュア無線家たちの実験によって、比較的小さな電力と簡単な設備でも、電離層反射を利用して大陸間通信ができることが実証されていきました。

日本でも1920年代に入ると、海外の技術雑誌や米国のアマチュア無線連盟ARRLが発行する『QST』などを読み、真空管、コイル、バリコンといった部品を集めて無線機を自作する研究者が現れます。1925年(大正14年)ごろには関東と関西のグループが短波による交信に成功し、その範囲を海外へ広げました。電子情報通信学会の資料では、1925年を「わが国における国際的なアマチュア無線の初年」と位置づけています。当時は「アマチュア局」という法的な区分がなく、個人が趣味として送信するための明確な免許制度も整っていませんでした。それでも先駆者たちは、実験と交信を重ねながら、個人による無線研究を社会に認めてもらう道を切り開いていったのです。

電子情報通信学会「日本のアマチュア通信の歴史と世界の現状」

1926年、JARL創立〜制度より先に生まれた全国組織〜

1926年(大正15年)6月12日、関東、名古屋、関西、上海の無線研究家37人によって、日本アマチュア無線連盟、現在のJARLが結成されました。設立時のメンバーには草間貫吉、井深大、仙波猛、有坂磐雄をはじめ、その後の無線・電子技術の発展に大きな足跡を残す人物が名を連ねていました。

興味深いのは、JARLが行政によって作られた組織ではなく、正式なアマチュア局制度がない時代に、無線を愛好する人々が自発的に結成した団体だったことです。設立当日には、世界に向けて「本日、われら日本のアマチュアは日本アマチュア無線連盟を結成した。各局へ周知されたし」という趣旨の英文電報が送られました。電波を通じて国境を越えようとした先人たちの精神は、現在のJARLにも受け継がれています。

2026年6月12日、JARLは創立100周年を迎えました。JARLは2026年6月から2027年9月までを祝賀期間と位置づけ、創立100周年と、日本におけるアマチュア無線100周年の記念事業を進めています。

JARL「日本におけるアマチュア無線100周年記念サイト」

1927年、日本初のアマチュア無線局「JXAX」が誕生

JARLの結成は、個人による短波通信の存在を行政に認識させる大きな契機となりました。当時の逓信省は、既存の「私設実験局」という枠組みを使い、個人の短波実験局を許可する道を整えます。そして1927年(昭和2年)9月、草間貫吉氏にコールサイン「JXAX」の短波私設無線電信無線電話実験局が免許されました。現在のJARLは、免許日を9月7日とし、JXAXを日本で最初のアマチュア無線局と位置づけています。

ただし、歴史資料を読む際には注意が必要です。古い文献には9月10日と記したものもありますが、これは免許の内容が官報の告示第2002号で公示された日です。また、同年3月には有坂磐雄氏のJLYB、楠本哲秀氏のJLZBという短波実験局も許可されており、何をもって「最初のアマチュア局」とするかについては、研究者の間で議論があります。本記事では、業務上の実験局と区別された個人のアマチュア局として、現在のJARLが公式に採用している「1927年9月7日・JXAX」を日本のアマチュア無線の起点とします。

JARL「アマチュア無線年表・~1941年」

当初の免許条件は厳しく、使用できる波長、出力、運用時間、通信内容が細かく制限されていました。1928年(昭和3年)には国際的な呼出符号のルールに合わせ、日本を九つの地域に分けた「J1」から「J9」までのコールサイン体系が導入され、JXAXは「J3CB」へ変更されました。現在のJA、JE、JF、JG、JH、JI、JJ、JK、JL、JM、JN、JO、JP、JQ、JRなどへつながる、地域数字を含む日本のコールサイン文化の原型が、この時期に整ったのです。

戦前の発展〜自作、DX、非常通信〜

1930年代に入ると、日本のアマチュア無線局は徐々に増え、国内交信だけでなく海外とのDX通信も盛んになりました。当時の送信機や受信機は、基本的に自作です。木製の板の上に真空管、コイル、コンデンサーなどを取り付けて配線した、いわゆる「まな板送信機」も数多く使われました。市販の完成品を購入して楽しむ現在とは異なり、回路を設計し、部品を集め、調整し、ようやく電波を出すところまでがアマチュア無線そのものだったのです。

1933年(昭和8年)には、日本初の女性アマチュア無線局とされる杉田千代乃氏のJ1DNが開局しました。1934年(昭和9年)3月の函館大火では、アマチュア無線による日本初の本格的な非常通信が行われたとされます。電話網や有線通信が被害を受けたなか、電波によって被災状況や救援に関する情報を伝えた経験は、後の非常通信活動の原点となりました。

同年末にはJARLが国際アマチュア無線連合IARUへの加盟を進め、1935年に承認されました。日本のアマチュア無線は、技術面でも組織面でも世界の一員となり、WACやWAZ、DXCCなど、世界各地との交信実績を競う文化も育っていきます。しかし、国際交流が広がる一方、日本国内では軍事色が次第に強まり、個人の無線通信に対する監視と規制も厳しくなっていきました。

1941年、太平洋戦争で全面停止

1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争の開戦と同時に、すべての私設実験局へ送信停止が命じられました。さらに12月13日には受信機も封印され、日本のアマチュア無線活動は完全に停止します。戦前最後の時点で、日本のアマチュア局はおよそ330局に達していたとされますが、無線機器の供出を命じられた局もあり、多くの無線家が軍や通信関係の業務に動員されました。戦地へ赴き、帰らなかった人も少なくありません。

アマチュア無線は本来、国境を越えた友情と技術研究を目的とするものです。しかし、無線通信は軍事や諜報にも使われるため、戦時下では個人による自由な運用が認められませんでした。この中断は、日本のアマチュア無線史における大きな断絶となります。

戦後復興〜GHQとの交渉と電波法の成立〜

1945年(昭和20年)8月に戦争が終わると、同年9月には短波受信の禁止が解除されました。海外のアマチュア局の交信を再び受信できるようになったものの、日本人による送信はまだ認められません。戦前の無線家たちはJARLの再建とアマチュア無線の再開を目指し、逓信院や連合国軍総司令部GHQとの交渉を重ねました。

1946年(昭和21年)5月1日にJARLが再発足し、同年8月11日には東京・新橋で戦後初の全国大会が開かれました。会長には八木アンテナで世界的に知られる八木秀次氏が就任し、9月には『CQ ham radio』がJARLの機関誌として創刊されます。占領下で再開が簡単に認められないなか、JARLは規則案の作成、行政への要望、GHQへの説明を続けました。

転機となったのは1950年(昭和25年)です。電波法、放送法、電波監理委員会設置法からなる「電波三法」が成立し、6月1日に施行されました。ここで日本の法令に初めて「アマチュア局」が明確に位置づけられ、アマチュア無線技士という国家資格も制度化されます。1951年(昭和26年)6月には第1回アマチュア無線技士国家試験が行われ、第1級47人、第2級59人が合格しました。

そして1952年(昭和27年)7月29日、全国30人にアマチュア局の予備免許が交付されます。同年8月27日には最初の5局に本免許が交付され、日本のアマチュア無線は約11年ぶりに正式な再開を果たしました。コールサインには「JA」が使われ、地域を表す1から9までの数字が組み合わされます。その後、信越地方を表す0が加わり、現在につながるエリア制度が形づくられました。

JARL「アマチュア無線年表・1945~1974年」

再開当初は、局ごとに使用周波数を細かく指定されるなど、現在より不自由な制度でしたが、1954年(昭和29年)にはバンド単位での運用へ改善が進み、1955年にはJARLがIARUへ復帰しました。ようやく日本のアマチュア無線は、国内制度と国際関係の両面で本格的な再出発を遂げたのです。

1950~1960年代〜一部の研究者の趣味から国民的な技術趣味へ〜

戦後再開時の資格は第1級と第2級だけでしたが、1958年(昭和33年)に電信級と電話級が創設され、翌1959年に最初の国家試験が行われました。上級資格に比べて取得しやすい入門資格が設けられたことで、アマチュア無線の裾野は大きく広がります。1959年にはJARLが社団法人となり、1960年には東京・飯田橋の逓信博物館に日本初のクラブ局JA1YAAが開局しました。

この時代には真空管からトランジスタへの技術革新が進み、国産メーカーによる受信機、送信機、トランシーバーの製品化も本格化しました。無線機をすべて自作しなければならなかった戦前と異なり、完成品やキットを使って開局できるようになったことが普及を後押しします。HF帯のモールス通信やAM、SSBに加え、「6m」と呼ばれる50MHz帯、144MHz帯、430MHz帯などのVHF・UHF運用も発展しました。

1964年(昭和39年)には430MHz帯が開放され、1965年には電話級・電信級の養成課程講習会制度が発足します。1966年には南極・昭和基地のJARL局8J1RLが開局しました。遠く離れた南極との交信は、多くのアマチュア無線家や子どもたちに大きな夢を与え、現在まで続く象徴的な活動となっています。

アマチュア無線は災害時にも力を発揮しました。1953年の北九州・熊本地方の水害、1964年の新潟地震などでは、被災地と外部を結ぶ非常通信が行われています。まだ家庭用電話が十分に普及しておらず、長距離通話も高価だった時代、アマチュア無線は趣味であると同時に、自分の設備で地域や全国、海外と直接つながることのできる貴重な通信手段でした。

1970~1980年代〜日本が世界最大のアマチュア無線大国に〜

1970年代は、日本のアマチュア無線が黄金時代へ入った時期です。1970年の大阪万博では特別記念局JA3XPOが開設され、1971年には無線機メーカーによる日本アマチュア無線機器工業会(JAIA)が設立されました。1972年にはJARLの地方本部と都府県・地域支部が整備され、全国規模の組織基盤が築かれます。

1975年(昭和50年)4月、日本のアマチュア無線局は30万局を超え、米国を抜いて世界第1位となりました。1977年には東京・晴海で第1回アマチュア無線フェスティバル、現在の「ハムフェア」が開催され、アマチュア無線50周年記念切手も発行されました。1979年にはJARL会員が10万人を超え、世界無線通信主管庁会議WARC-79では10MHz、18MHz、24MHz帯など、新たなアマチュアバンドの獲得につながる成果が得られました。

JARL「アマチュア無線年表・1975~1988年」

無線機の小型化と自動車の普及により、車載機やハンディ機を使うモービル運用も一般的になりました。山頂、峠、海岸、キャンプ場などへ出かけて電波を出す移動運用が盛んになり、144MHz帯や430MHz帯では地域の仲間と日常的に会話する文化が生まれます。1982年には東京に日本初の430MHz帯レピーター局JR1WAが開設され、1983年には1200MHz帯のレピーターも登場しました。直接電波が届きにくい地域とも中継局を介して交信できるようになり、VHF・UHFの楽しみ方が大きく広がります。

RTTY、FAX、SSTV、ATVなど、音声とモールス以外の通信も普及しました。パソコンが家庭へ入り始めると、1980年代後半からはTNCを使ったパケット通信が注目され、無線による文字通信、電子掲示板、データ転送が行われるようになります。インターネットが一般家庭に普及するより前に、アマチュア無線家は電波を使ったコンピューターネットワークを構築していたのです。

さらに1986年(昭和61年)8月、H-Iロケットによって日本初のアマチュア衛星JAS-1「ふじ」が打ち上げられました。個人の無線局が人工衛星を介して国内外と交信するという、かつては夢物語だった通信が現実となりました。日本のアマチュア無線は、局数だけでなく、機器製造、衛星、デジタル通信、コンテスト、ARDFなど、多方面で世界をリードする存在となっていきます。

1990年代〜100万局突破と136万局のピーク〜

1990年(平成2年)、日本のアマチュア無線局は100万局を突破しました。同年、従来の電信級は第3級、電話級は第4級へ名称が変更され、現在の第1級から第4級までの資格体系となります。1991年には市販のアマチュア無線設備に技術基準適合証明制度が導入され、JARDも設立されました。技適を取得した無線機であれば、開局や設備変更の手続きを比較的簡単に行える仕組みが整っていきます。

自動車電話や携帯電話がまだ高価だった時代、車に144MHz帯や430MHz帯の無線機を載せ、仲間と連絡を取り合うスタイルが全国に広がりました。第4級アマチュア無線技士の取得しやすさ、養成課程講習会の普及、国産トランシーバーの充実、好景気、アウトドアブームなどが重なり、局数は増加を続けます。そして1995年(平成7年)4月末、国内のアマチュア局数は過去最高の136万4,316局に達しました。

一方、同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、アマチュア無線が被災地の情報収集、安否確認、救援活動の連絡に活用されました。固定電話網や携帯電話網が大きな被害と混雑に見舞われるなか、自前の無線機、アンテナ、電源を持つアマチュア局が通信を補完したのです。

JARL「アマチュア無線年表・1989~2000年」

しかし、1990年代後半から携帯電話が急速に普及し、やがて電子メールとインターネットも家庭へ浸透します。「離れた人と話す」という目的だけなら、資格も無線局免許も必要なく、相手を確実に呼び出せる携帯電話の方が便利です。連絡手段としてアマチュア無線を使っていた層が携帯電話へ移り、趣味の多様化や住宅事情の変化も重なって、局数はピークを境に減少へ転じました。

2000年代以降〜インターネットに消されず、インターネットを取り込む〜

インターネットの普及は、アマチュア無線を衰退させる一因となった一方、新しい発展の土台にもなりました。1997年にJARL Webが開設され、2000年にはJARLコンテストで電子ログの受付が始まります。ログ管理、伝搬予測、QSL、アワード申請、運用情報の交換など、無線の周辺は急速にデジタル化しました。

2001年には埼玉県入間市の児童センター・アマチュア無線クラブが、日本で初めてARISSスクールコンタクトによる国際宇宙ステーションとの交信に成功しました。2003年には東京大学のXI-IVと東京工業大学のCUTE-Iという超小型アマチュア衛星が打ち上げられ、大学や学生によるCubeSat開発の時代が始まります。

JARLは総務省の調査検討をもとに、デジタル音声・データ通信規格D-STARを開発しました。2004年に制度面の準備が整い、2005年からD-STARレピーターの整備が進み、2008年には日本と米国のレピーターをインターネット回線で結ぶ国際通信にも成功します。電波で最寄りのレピーターへアクセスし、ネットワークを介して遠隔地のレピーターから再び電波を出す仕組みは、「無線かインターネットか」という二者択一ではなく、両者を組み合わせる新しいアマチュア無線の姿を示しました。

JARL「アマチュア無線年表・2001~2010年」

モールス通信をめぐる制度も変化しました。2005年に国家試験の電気通信術が大幅に簡素化され、第3級では実技試験がなくなりました。2011年には第1級と第2級でもモールスの実技試験が廃止されます。これはモールス通信そのものの廃止ではありません。CWは現在も、狭い帯域と小さな電力で遠距離通信を楽しめるモードとして、多くの愛好者に使われています。

2017年に登場したFT8は、日本でも急速に普及しました。パソコンが微弱な信号を解析し、短い定型文を一定の時間間隔で交換する方式で、肉声では聞き取りにくいほど弱い電波でも交信が成立します。SDR、デジタル信号処理、インターネットを利用したリモート運用、オンラインログなども広がり、現代の無線室は「無線機とマイク」だけでなく、コンピューターとソフトウェアを含む総合的な通信実験室へ変わりました。

JARL「ゼロからはじめるFT8」

災害対応と社会貢献〜趣味だからこそ備えられる通信網〜

アマチュア無線は公共の通信サービスではなく、業務連絡や営利活動に使うこともできません。しかし、大規模災害などで通常の通信手段が利用できない、または著しく困難な場合には、電波法に定める非常通信を行うことができます。

2011年(平成23年)の東日本大震災では、中央非常通信協議会会長からJARLへ、被災地の通信確保に向けたアマチュア無線の積極的な活用が要請されました。各地のアマチュア局が自治体や医療関係者などと協力し、被害情報、安否情報、救援に関する連絡を行い、臨時レピーターによって沿岸部と内陸部の通信を確保した事例もあります。その功績により、JARL、個人のアマチュア無線家、無線機器メーカーなどが中央非常通信協議会から表彰されました。

JARL「アマチュア無線年表・2011~2018年」

2021年(令和3年)には制度が見直され、非常時だけでなく、災害ボランティア、地域活動、社会貢献活動などでも、一定の範囲でアマチュア無線を活用しやすくなりました。同時に、小中学生が有資格者の監督下でアマチュア無線を体験できる機会も拡大されます。さらに2023年の制度改正では、資格を持たない人による体験運用の条件が大きく緩和され、個人局を含む各局が事前の手続きなしで体験運用を行える仕組みが整いました。免許申請や設備変更の簡素化、デジタル化、手続きの迅速化も進められています。

JARL「アマチュア無線年表・2019年~現在」

重要なのは、アマチュア無線を「携帯電話がつながらないときだけ使う非常用設備」と考えないことです。災害が起きたときだけ無線機を取り出しても、アンテナの設置、電源の確保、通信可能範囲の把握、混信を避けた運用、情報の記録や中継をすぐに行うことはできません。日常の交信、移動運用、コンテスト、ロールコールなどを通じて技術と人のつながりを保っているからこそ、非常時にも機能する可能性があります。趣味として継続する日常の活動そのものが、結果として社会の通信力を底上げしているのです。

2026年の現在〜局数減少と100周年が重なる転換点〜

日本のアマチュア無線局数は、1995年4月末の136万4,316局をピークに減少し、総務省が2026年7月1日に公表した同年5月末の統計では32万7,198局となりました。ピーク時の約4分の1であり、局数の規模は1970年代半ばと同程度まで戻ったことになります。

hamlife.jp「総務省が2026年5月末のアマチュア無線局数を公表」

減少の背景には、携帯電話、SNS、インターネットの普及だけでなく、免許人の高齢化、若年層の減少、集合住宅の増加、アンテナ設置の難しさ、無線機器や周辺機材の価格上昇、資格と開局申請という二段階の手続きなど、複数の要因があります。JARLが2026年に示した会員構成では、60代以上が約8割を占め、20代以下は1.5%にとどまります。局数の減少と世代交代は、今後の日本のアマチュア無線にとって最大の課題です。

JARL「創立100周年記念事業と次世代支援」

それでも、アマチュア無線の可能性が縮小したわけではありません。むしろ、使える技術と楽しみ方は歴史上最も豊かです。HFからマイクロ波までの交信、CW、SSB、FM、FT8、D-STAR、画像通信、人工衛星、国際宇宙ステーション、月面反射、流星散乱、ラジオダクトやスポラディックE層を利用した遠距離通信、QRP、自作、移動運用など、興味に応じて無数の入口があります。

2026年はJARL創立100周年、2027年はJXAXの免許から100周年です。この二つの節目は、過去を懐かしむだけの記念年ではありません。先人たちが制度のない時代に無線機を自作し、個人が電波を使う権利と文化を築いた歴史を、次の世代へどのように引き継ぐのかが問われる時期でもあります。

日本のアマチュア無線史・主な出来事

主な出来事
1925年関東・関西の無線研究家による短波交信が発展し、海外との交信も始まる
1926年6月12日、37人で日本アマチュア無線連盟(JARL)を結成
1927年草間貫吉氏の短波私設実験局JXAXが免許される
1934年函館大火でアマチュア無線による非常通信。JARLがIARU加盟へ
1941年太平洋戦争開戦により私設実験局の送受信が全面停止
1946年JARL再発足。八木秀次氏が会長に就任。『CQ ham radio』創刊
1950年電波三法施行。アマチュア局とアマチュア無線技士が法制化
1952年7月29日、30人に予備免許。戦後のアマチュア無線が再開
1958~1959年電信級・電話級を創設。JARLが社団法人化
1965~1966年養成課程講習会制度が発足。南極昭和基地に8J1RL開局
1973年JARLが7月29日を「アマチュア無線の日」に制定
1975年国内30万局を超え、米国を抜いて世界第1位に
1977年第1回アマチュア無線フェスティバル、現在のハムフェアを開催
1982年日本初の430MHz帯レピーター局JR1WAが開局
1986年日本初のアマチュア衛星JAS-1「ふじ」を打ち上げ
1990年国内100万局を突破。電信級・電話級を第3級・第4級へ改称
1995年4月末に過去最多の136万4,316局。阪神・淡路大震災で非常通信
2001年日本初のARISSスクールコンタクトで国際宇宙ステーションと交信
2004~2005年電子申請が始まり、D-STARの制度・レピーター整備が進む
2011年東日本大震災で通信支援。1・2アマ国家試験のモールス実技を廃止
2017年FT8が登場し、日本でも微弱信号デジタル通信が急速に普及
2021年社会貢献活動への活用と小中学生の体験機会を拡大
2023年無資格者による体験運用を大幅に緩和。免許手続きも簡素化
2026~2027年JARL創立100周年、日本におけるアマチュア無線100周年

まとめ〜「自分の力でつながる」文化を次の100年へ〜

日本のアマチュア無線の歴史を振り返ると、変わり続けたものと、変わらなかったものが見えてきます。無線機は真空管からトランジスタ、IC、DSP、SDRへ変わり、通信方式もモールスやAMからSSB、FM、衛星、デジタルへ広がりました。紙のログとQSLカードに加え、電子ログ、電子QSL、オンラインアワードも使われるようになりました。

しかし、「自分で設備を整え、自分の電波を空間へ送り、相手の電波を受ける」という根本は変わっていません。通信事業者が用意したネットワークを利用するだけでなく、アンテナ、無線機、電源、電波伝搬、運用技術を自分で考え、失敗を重ねながら通信路を作る。そこにアマチュア無線ならではの価値があります。

局数だけを見れば、日本のアマチュア無線は最盛期から大きく縮小しました。それでも、約100年前の先人たちが想像できなかったほど多彩な技術を、個人が合法的に試すことのできる環境は残っています。問われているのは、アマチュア無線が古いか新しいかではなく、その自由な実験精神と、人と人を電波で結ぶ文化を、現代に合った形でどう伝えるかです。

1926年、37人の無線研究家が世界へ結成を告げたJARLは100周年を迎えました。1927年にわずか10W以下の自作設備から始まった日本のアマチュア無線も、まもなく100周年を迎えます。次の100年へ受け継ぐために必要なのは、昔の隆盛を懐かしむことだけではありません。まず電波を出し、実験し、誰かと交信し、その面白さをまだ知らない人へ伝えること。その積み重ねこそが、日本のアマチュア無線の新しい歴史になるのではないでしょうか。

主な参考資料

 

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