アマチュア無線局 JF9OYU/ライセンスフリー無線局 いしかわJK946 です。いつもブログをお読みいただきまして、心より感謝申し上げます。
さて、現在、東京を代表するFMラジオ局として知られるTOKYO FM。その前身が、東海大学の運営していた「FM東海」であることは、ラジオに詳しい人以外にはあまり知られていません。
FM東海という名称から、愛知県や静岡県などの東海地方にあった放送局を想像するかもしれませんが、実際の演奏所と送信所は東京都渋谷区の東海大学代々木校舎に置かれていました。「東海」は地域名ではなく、運営母体である東海大学に由来します。東海ラジオやラジオ東海とも直接の関係はありません。
FM東海は、単なる試験電波を出すだけの実験局ではありませんでした。FM放送による高校通信教育、広告放送、ステレオ放送、音声多重放送、音楽を中心とした番組編成など、その後の日本のFM放送につながるさまざまな試みを重ねています。
しかし、あくまで実験局・実用化試験局であり、通常の民間放送局として免許された局ではありませんでした。この不安定な立場が、やがて郵政省との深刻な対立を招きます。FM東海はなぜ誕生し、なぜ閉局することになったのか。そして、どのようにFM東京へ引き継がれたのでしょうか。
FM放送は当初「教育メディア」として期待されていた
日本でラジオ放送が始まった当初、主役は中波を使用するAM放送でした。一方、FM放送は雑音が少なく、広い周波数帯域を利用できるため、音楽を高音質で伝えられるという特長があります。音声多重など、新しい放送サービスへの発展も期待されていました。
NHKは1957年12月24日、東京でFM実験放送を開始します。しかし、当時のFM放送は現在のような音楽メディアとしてだけではなく、学校教育や社会教育に活用する新しいメディアとして注目されていました。
戦争や家庭の事情によって十分な教育を受けられなかった人、昼間に働きながら学びたい青少年に対し、放送を通じて授業を届ける構想です。テレビも普及し始めていましたが、ラジオは受信設備が比較的簡単で、映像を必要としない授業であれば効率よく広い地域へ届けられます。
東海大学の創立者である松前重義は、逓信省の技術者として通信技術に携わった経歴を持つ一方、教育を通じた社会づくりを重視していました。FM放送は、松前の教育理念と通信技術に関する経験を結び付ける有力な手段だったのです。
当初の構想は「富士山頂からの教育放送」だった
FM東海の原点となったのは、富士山頂にFM送信所を設けるという壮大な計画でした。1957年、東海大学は富士山頂を送信場所とする超短波放送局を構想します。富士山頂から静岡県を中心とする広い地域へ教育番組を送り、青少年の教養と学力、地域の文化向上に役立てようという計画でした。
FMの電波は基本的に直進性が強く、高い場所から送信するほど遠くまで届きやすくなります。標高3,776メートルの富士山頂に送信所を置けば、極めて広い範囲を見通せる可能性があります。富士山頂からの電波伝搬を調査するとともに、複数の音声を送る多重放送、送信所の遠隔制御、FM受信機の普及などを研究する狙いもありました。
ところが、富士山頂に無人の送信所を設け、東京から遠隔操作するには、厳しい気象条件や保守、電源、機器の信頼性など、当時の技術では解決が難しい問題が数多くありました。富士山頂案はそのまま実現せず、実際の実験局は東京都渋谷区富ヶ谷の東海大学代々木校舎に設置されることになります。
この経緯から分かるように、FM東海は最初から東京の音楽放送局として計画されたわけではありません。出発点は、FM放送を使って学びの機会を広げる教育放送構想だったのです。
1958年、東海大学のFM実験局「JS2AO」が開局
東海大学は1958年3月、超短波放送実験局の免許を申請し、同年4月25日に予備免許を受けました。呼出符号は「JS2AO」、周波数は86.5Mc、空中線電力は1kWです。「Mc」は当時使われていたメガサイクルという単位で、現在のMHzと同じ意味になります。
1958年12月26日に本免許が交付され、12月31日に放送を開始しました。演奏所と送信所は東海大学代々木校舎に置かれ、校舎屋上に設置されたアンテナから電波が送信されました。現在のTOKYO FMも、1958年に代々木校舎から1kWで始まったFM放送を自社の原点として位置付けています。
周波数は当初86.5Mcでしたが、NHK総合テレビのアナログ1チャンネルに近く、受信障害を引き起こす可能性が考慮されたことなどから、1959年に84.5Mcへ変更されました。
JS2AOの役割は、FM電波の伝わり方や受信状況、変調方式、音声多重、ステレオ放送などを研究することでした。あくまで技術実験を目的とする無線局であり、通常の民間放送局のような広告放送は認められていません。
FM放送を利用した高校通信教育が始まる
東海大学は1959年、東海大学付属高校通信教育部を設け、同年6月からFM放送による高校通信教育講座を開始しました。後の東海大学付属望星高等学校につながる取り組みです。
生徒は教科書や教材を使いながら、FMラジオから流れる授業を受講しました。現在でいえば、インターネットによるオンライン授業や動画配信に近い仕組みですが、それを1950年代末に電波で実現しようとしたことになります。
東海大学は、FM放送を単に音楽や娯楽を届けるためのメディアとは考えていませんでした。通学が難しい生徒にも教育を届ける「電波による学校」として活用しようとしていたのです。
1960年、実用化試験局「FM東海」が誕生
技術実験を目的とするJS2AOに続き、東海大学はFM放送を実際の放送事業として運営できるか検証するため、「超短波放送実用化試験局」の免許を受けました。
呼出符号は「JS2H」、周波数84.5Mc、空中線電力1kW。1960年5月から「FM東海」の名称で本格的な放送を開始しました。
FM東海の歴史を理解するうえで重要なのが、JS2AOとJS2Hの違いです。
| 区分 | 実験局 | 実用化試験局 |
|---|---|---|
| 呼出符号 | JS2AO | JS2H |
| 主な目的 | FM多重・ステレオ・伝搬などの技術実験 | FM放送事業の実用性を検証 |
| 周波数 | 当初86.5Mc、後に84.5Mc | 84.5Mc |
| 空中線電力 | 1kW | 1kW |
| 広告放送 | 原則不可 | 認可された範囲で可能 |
| 主な放送期間 | 1958年~1970年 | 1960年~1968年 |
FM東海という名称は主にJS2Hの実用化試験局を指します。通常はJS2Hとして番組やCMを放送し、ステレオや多重放送などの技術実験を行う時間にはJS2AOへ切り替えるという運用も行われました。
実用化試験局では広告放送が認められ、スポンサーを付けた番組を編成できました。そのためFM東海は「日本初の民間FM放送局」と紹介されることがあります。
ただし、厳密には通常の民間放送局ではなく、期限のある実用化試験局です。一般放送事業者として正式な免許を受けた最初の民間FM放送局は、1969年12月に開局したFM愛知です。FM東海を「日本初」と呼ぶ場合は、「民間が運営し、広告放送も行ったFM実用化試験局」という意味で理解する必要があります。
教育放送から音楽メディアへ
FM東海は高校通信教育講座を重要な柱としながら、一般のリスナーに向けた音楽番組も増やしていきました。
当時はFM受信機が十分に普及しておらず、FM放送を聴いたことのない人も少なくありませんでした。FM東海はFM喫茶などを設け、高音質で音楽を聴けるFM放送の魅力を紹介します。受信機メーカーやオーディオ業界にとっても、FM放送の普及は新しい市場につながるものでした。
技術面では、左右の音声を別々に届けるステレオ放送の実験を実施。当初のFM-FM方式に続き、1963年には現在のFMステレオ放送につながるパイロット・トーン方式による実験放送を始めました。
番組編成も、クラシック音楽やポピュラー音楽を長時間流すなど、AMラジオとは異なる方向へ進みます。高音質というFMの特長を生かすには、音楽番組が最適だったからです。FM放送は教育メディアとして計画されながら、実験を重ねる過程で次第に「音楽を楽しむメディア」へ変化していきました。この変化については、初期FM放送を研究した学術論文でも詳しく分析されています。
FM東海から始まった「JET STREAM」
FM東海を代表する番組のひとつが「JET STREAM」です。
日本航空をスポンサーとして、1967年7月3日に放送を開始しました。初代パーソナリティーは城達也。海外旅行がまだ一部の人に限られていた時代に、音楽とナレーションによって世界を旅する感覚を届ける番組でした。
FM東海の閉局後もFM東京へ引き継がれ、現在もTOKYO FM・JFN系列で放送されています。FM東海時代に始まり、現在まで続く象徴的な番組です。
「JET STREAM」が成立した背景には、FM東海が築いた音楽中心の編成、高音質へのこだわり、音によって情景を想像させる番組制作の蓄積がありました。
なぜ郵政省はFM東海の再免許を認めなかったのか
FM東海は実績を積み重ねていましたが、制度上は実験局と実用化試験局にすぎません。通常の民間FM放送局のように、半永久的な事業継続を前提とした免許ではありませんでした。
1960年代後半になると、郵政省はFM放送の技術的な資料が十分に集まったと判断し、正式な民間FM放送を全国に導入する準備を進めます。東京でも新聞社、放送関係者、企業などから多数の免許申請が出されており、申請者を一本化した新しい民間FM放送会社を設立する方針が取られました。
郵政省の立場から見れば、実用化試験は役割を終えた以上、FM東海だけをそのまま通常の民間放送局へ移行させるのではなく、ほかの申請者も参加する新会社をつくる必要がありました。
一方、東海大学側には、10年近くにわたってFM放送を開拓してきた実績があります。高校通信教育という公共性の高い事業も継続しており、受信者やスポンサー、職員を抱えていました。大学側にとっては「実験が終わった」という理由だけで放送を終了させられることは、到底納得できるものではなかったのでしょう。
1968年、免許をめぐる対立が表面化
1968年1月、郵政省は東海大学に対し、FM放送の実施に必要な資料収集は終了したとして、実用化試験局JS2Hを再免許しない方針を伝えました。
東海大学は処分の取り消しなどを求めて東京地方裁判所に提訴。その後、免許は同年6月30日まで延長されましたが、期限を過ぎても放送が続けられたため、郵政省は免許のない電波であると警告し、電波法違反として告発します。
これに対して東海大学側も訴訟や異議申し立てを行い、郵政省と激しく対立しました。FM放送の開拓者として継続を求める東海大学と、試験放送を終了して新しい免許制度へ移行させたい郵政省の主張が正面から衝突したのです。
最終的には、FM東海の番組、教育放送、設備、職員などを新たな民間FM放送会社へ引き継ぐ方向で調整が進められました。
FM東海には「二段階の閉局」があった
FM東海の閉局日は一般に1970年4月25日とされています。ただし、実際には1968年と1970年の二段階に分けて考える必要があります。
まず、広告放送が可能だった実用化試験局JS2Hは、1968年11月26日に放送を終了しました。翌11月27日からは、技術実験を目的とするJS2AOだけが残ります。実験局では通常の広告放送ができないため、民間放送としてのFM東海は、この時点で事実上終了したと見ることもできます。
一方、JS2AOの実験放送は、新しいFM東京が開局するまで免許を延長しながら続けられました。そして1970年4月25日、特別番組「FM東海の10年」を放送し、すべての放送を終了します。これが一般にFM東海の閉局日とされている理由です。
FM東京は単なる社名変更ではない
FM東海からFM東京への移行は、単純な局名変更ではありません。
FM東海は学校法人東海大学が運営する実験局・実用化試験局でした。一方、FM東京は株式会社エフエム東京が運営する、正式な民間FM放送局です。運営法人も免許の種類も呼出符号も異なります。
1969年12月19日、郵政省はエフエム東京に予備免許を交付しました。呼出符号は「JOAU-FM」、周波数80.0MHz、空中線電力10kW。1970年3月17日に株式会社エフエム東京が設立され、4月25日に本免許が交付されます。
同日、FM東海は84.5MHzでの放送を終了し、翌4月26日、FM東京が80.0MHzで放送を開始しました。FM愛知、FM大阪に続く、全国3番目の正式な民間FM放送局です。
法的には別の放送局ですが、FM東海で働いていた職員、放送設備、番組制作のノウハウ、高校通信教育講座などがFM東京に引き継がれました。「JET STREAM」をはじめとする番組も継承されています。
つまり、FM東海は閉局しましたが、その放送文化と事業は途切れず、FM東京という新しい制度上の器へ移されたのです。
FM東海からFM東京までの年表
| 年月日 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1957年 | 東海大学が富士山頂からの教育FM放送を構想 |
| 1958年4月25日 | 超短波放送実験局JS2AOに予備免許 |
| 1958年12月26日 | JS2AOに本免許 |
| 1958年12月31日 | 東海大学代々木校舎からFM実験放送開始 |
| 1959年6月1日 | FM放送による高校通信教育講座を開始 |
| 1959年11月 | 周波数を86.5Mcから84.5Mcへ変更 |
| 1960年3月 | 実用化試験局JS2Hが認可 |
| 1960年5月 | 「FM東海」として本格的な放送を開始 |
| 1963年 | 現在のFMステレオ方式につながる実験放送を開始 |
| 1967年7月3日 | 「JET STREAM」放送開始 |
| 1968年1月 | 郵政省が実用化試験局を再免許しない方針を通知 |
| 1968年7月 | 免許期限と放送継続をめぐり郵政省と東海大学が対立 |
| 1968年11月26日 | 実用化試験局JS2Hが放送終了 |
| 1968年11月27日 | 実験局JS2AOのみの放送となる |
| 1969年12月19日 | エフエム東京に予備免許 |
| 1970年3月17日 | 株式会社エフエム東京設立 |
| 1970年4月25日 | FM東海が「FM東海の10年」を放送して閉局 |
| 1970年4月26日 | FM東京が80.0MHzで放送開始 |
現在のTOKYO FMに残るFM東海の面影
FM東京は1990年、ステーションネームを「TOKYO FM」へ変更しました。しかし、FM東海とのつながりは現在も残っています。
代表的なのが「JET STREAM」です。1967年のFM東海時代から続く番組であり、FM放送の高音質と想像力を生かした番組制作の象徴といえます。
また、東海大学は株式会社エフエム東京の設立後も株主として関係を維持してきました。2026年3月31日現在、学校法人東海大学はエフエム東京株式の11.67%を保有する筆頭株主です。
FM東海は制度上消滅しましたが、東海大学とTOKYO FMの関係は、閉局から半世紀以上が経過した現在も続いているのです。
まとめ
FM東海の歴史は、日本にFM放送が定着するまでの試行錯誤そのものです。
富士山頂から教育番組を届けるという構想に始まり、東海大学代々木校舎から実験放送を開始。FM放送による高校通信教育、広告放送、音声多重、ステレオ放送、音楽中心の番組編成など、後のFM放送につながる数多くの試みを実施しました。
その一方、FM東海は最後まで実験局・実用化試験局という暫定的な立場に置かれていました。実験を終えて正式な民間FM放送制度へ移行しようとする郵政省と、実績を基に放送の継続を求める東海大学が対立したことは、ある意味では避けられない展開だったのかもしれません。
FM東海は1970年4月25日に閉局しました。しかし、翌日にはFM東京が放送を開始し、職員、番組、教育放送、技術、制作思想を受け継ぎました。
FM東海からFM東京、そしてTOKYO FMへ。その歴史は局名が変わっただけの単純なものではありません。教育を届けるために始まった大学の実験局が、日本のFM放送文化を形づくり、正式な民間放送局へ生まれ変わった壮大な物語なのです。
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